メンバーの肖像【古庄 浩】

厨房から社会へ、食を通した地域活性化に尽力

フランス料理 シェフ 株式会社古庄企画 代表取締役

古庄 浩(ふるしょう ひろし)理事

庄内平野の滋味豊かな食材との出会いを契機に、
地産地消活動に精力的に取り組んだ古庄理事。
現在は、長年の念願であった料理人紹介事業に着手し、
料理人の技術と経験を活用した地域社会への貢献をめざしている。

古庄 浩(ふるしょう ひろし)略歴
1953年大分県臼杵市生まれ。1974年辻学園日本調理師専門学校卒業。同年、ホテルプラザでの修業を経て、在モロッコ日本国大使館料理長に就任。1976年大阪マルビル・大阪第一ホテル入社、宴会料理長、レストラン料理長、上席料理長などを務める。1999年東京第一ホテル鶴岡総料理長に就任。2006年同ホテル退職後、多数のホテル・レストランで総料理長、料理監督などに従事。2008年株式会社古庄企画を設立。「食の都庄内」親善大使(山形県)。地域活性化伝道師(内閣府)。

【原点は食材に恵まれた故郷】

前は青い海、後は緑の山。大分県の漁村に生まれ育ち、剣道に打ち込んだ少年時代でした。魚も米も野菜も地元産で、これがすべておいしい。特に竈(かまど)で炊いたご飯は絶品で、何杯もおかわりしたものです。この食材に恵まれた環境を当時は特別だと思ってはいませんでしたが、いつしかおいしいものをつくることを生涯の仕事にしたいと思い、料理人への道を志しました。

大阪の調理師専門学校で学んだあと、モロッコの日本国大使館などで海外経験を積み、1976年に大阪マルビル・大阪第一ホテルに入社。レストランや宴会料理でさまざまな役割を務め、技術を高めるとともに、厨房のチームプレイの重要性を体得していきました。

【奮起の新レストラン開店】

大阪第一ホテル時代に最も印象に残っているのは、1991年に自ら企画したレストラン「CARAT(カラット)」を立ち上げたことです。

その数年前、料理長を務めていたレストランが会社の都合で閉鎖になり、コーヒーショップの責任者に異動になりました。悔しい思いをしていた私は、当時の吉本晴彦社長に掛け合い、2年間、コーヒーショップで抜群の成績を残したら、レストランを再興してやるという約束を得ました。そこで、工夫を凝らし懸命に売上を上げて、開店に漕ぎつけたのがCARATでした。

バイキング形式を取り入れ、喫茶としても、バーとしても利用できるカジュアルなレストランで、新しいタイプのホテル・レストランとして好評を博しました。

大阪第一ホテルを関西での定宿にされていたヤクルト球団の皆さんにもご愛用いただき、当時監督だった野村克也様のご推薦で人気テレビ番組の「料理の鉄人」に出演したのも、忘れられない思い出です。

【地産地消の旗手として】

大きな転機が訪れたのは、四十代も半ばのことでした。東京第一ホテルから「東京第一ホテル鶴岡」のレストラン部門の立て直しを依頼されたのです。最初は辞退していたのですが、現地を訪ねて総支配人の人柄に触れ、また土地柄にも好印象を抱いたので、引き受けることにしました。

1999年、東京第一ホテル鶴岡に総料理長として赴任しました。山形県鶴岡市は庄内平野の南部に位置する地方都市で、庄内米やだだちゃ豆(特産の枝豆)の産地として知られ、日本海に面しているので海の幸にも恵まれています。私はここで故郷の臼杵を思い出し、地元の食材に惚れ込んでいきました。

まずはメニューを地元の食材中心に変え、休みの日には近隣の農家を訪ねるようになりました。そのうちに好奇心を抑えがたく、畑を借りて自分でだだちゃ豆などの野菜づくりを始めました。そのなかで地元の方々との交流が深まり、行政の協力を得て、地産地消活動をスタートしました。

私の役割は地元の生産者と消費者を結びつけることです。生産者はもっぱら高く売れる中央に目を向け、消費者は地元の農産物の価値を知りません。地元にファンをつくることが地産地消の原点であり、双方の交流を図ることが重要でした。

そこで、ホテルでは月1回「地産地消の日」を設け、生産者が出品できるスペースを提供。同時に地元の食材で弁当をつくって、ほぼ原価で販売しました。また、生産現場の見学ツアーなども活発に実施し、地元の食材を使った商品づくりやメニュー開発にも力を尽くしました。

地産地消活動が浸透すると、産直センターや道の駅も整備され、今度は庄内の優れた食材を全国に広げていこうという機運が生まれてきました。2005年には山形県から「食の都庄内」親善大使に任命され、他の3人の料理人とともに庄内地方の食材を全国にPRする役割を与えられました。

私が一翼を担った、これらの県民が一体となった活動が効を奏し、鶴岡市は2014年、「ユネスコ食文化創造都市」に認定されています。

【料理人紹介事業をスタート】

2006年、東京第一ホテル鶴岡を退職し、関西に活動拠点を戻してホテル・レストランの開業や経営再建などを引き受けて、多忙な毎日を送ってきました。その一方で、私にはかねてから心中に温めていたライフワークともいうべきプランがあり、実現する機会を窺ってきました。

それは退職あるいは失職した料理人の紹介事業です。これまで個人的に依頼を受けて紹介したケースは少なくありませんが、それを登録制にして事業として展開したいと考えています。紹介先はこれまでのホテルやレストラン、料亭などにとどまらず、スーパーマーケット、食品工場、調理センター、会社・自治体などの食堂、学校や老人ホームの食堂など幅広く想定しています。そのような社会のさまざまなシーンで、料理人がプロフェッショナルとして培ってきた技術や経験を存分に活かし、過疎化や高齢化などでともすれば薄れていきがちな食べる喜びを地域社会に取り戻し、ひいては地域活性化やまちづくりに貢献していこうというのが究極の目標です。

このような主旨のもと、私は2010年に任意団体「シェフ・ジャパン」を設立し、事業化の準備を進めてきましたが、この度、「NPO法人くらしと生活環境を守る会」の協力を得て、株式会社古庄企画で料理人の紹介事業を開始することになりました。

まだ第一歩を踏み出したばかりですが、料理人と紹介先がウインウインの関係となり、食を通じて豊かな生活づくりや地域活性化に寄与していくことができるように、全力で取り組んでいきたいと思っています。

生産現場への見学ツアー

「食の都庄内」親善大使としてPR活動

東北復興支援活動(酒田にて)

厨房にて